
我が人生の転機:
クラシックギターと恩師が教えてくれたこと
― 1969年からの個人的な軌跡と、学びの本質について ―
序章:混沌の時代、一筋の光との出会い
今から半世紀以上も前のこと、1969年という年は、日本全体が大きなうねりの中にあった時代でした。私がまだ20歳に満たない若者だった頃、世は学生運動の嵐が吹き荒れ、大学のキャンパスはしばしば閉鎖され、授業もままならないという状況が続いていました。 未来に対する漠然とした不安と、若さ特有の焦燥感が入り混じり、どこか拠り所を求めるような、そんな空気感が社会全体を覆っていたように記憶しています。 私自身も、その渦の中で「これからどうなるのだろう」という先の見えない状況に、一種の虚無感や人恋しさを覚えていました。 そんな時代背景の中、私はある種のカルチャーに救いを求めるように、ふと一つの選択をしました。 それが、ギター教室の門を叩くことだったのです。 当時の私にとって、それは大それた決意というよりは、何か新しいことに触れたい、誰かと繋がりたいという、ごく自然な心の動きだったのかもしれません。 しかし、このささやかな一歩が、その後の私の人生において、これほど大きな意味を持つことになるとは、当時は夢にも思っていませんでした。
第一章:師の門を叩く – ギターとの邂逅
1970年代に入ると、日本は空前のフォークソングブーム、そしてそれに続くギターブームに沸きました。 街には雨後の筍のようにギター教室が軒を並べ、若者たちはこぞってギターを手にしていた時代です。 私がギター教室を選んだのは、実のところ、多くの教室の中から吟味したというよりは、「自宅から近い」という、ただそれだけの単純な理由でした。 しかし、この偶然とも言える選択が、私にとってかけがえのない師との出会いをもたらしてくれたのです。 その教室の主こそ、後に私が生涯の恩師と仰ぐことになる、大沢一仁先生でした。 当時の私は、音楽大学の学生でもなければ、特別な音楽的素養があったわけでもありません。 ごく普通の、音楽に関しては全くの素人でした。 それにも関わらず、先生は私のような若輩者を快く迎え入れてくださいました。 教室には、後に日本を代表するリュート奏者・ギタリストとなられる佐藤豊彦さんをはじめ、そうそうたる才能を持つお弟子さんたちが集っていましたが、先生は誰に対しても分け隔てなく、真摯に指導にあたっておられました。 その温かくも厳格な指導の様子は、今でも鮮明に私の記憶に刻まれています。 
若き日の私にとって、教室は未知の世界への扉でした。
入門する際、私は若気の至りというか、無礼にも先生にこう尋ねました。 「先生、私がどのくらいギターを習ったら、弾けるようになるものでしょうか?」と。 今思えば、何とも浅はかで、そしてクラシックギターという楽器の深淵を全く理解していない、愚かな質問でした。 すると先生は、少しの間を置いて、非常にシンプルに、しかし確信に満ちた声でこうお答えくださいました。
「鈴木君、10年はかかるからね」
その瞬間、私は言葉の真意を測りかねました。 初めは「まあ、そんなに簡単じゃないよ」というニュアンスで、少し大袈裟におっしゃったのかな、とすら思ったのです。 しかし、先生の表情には、冗談めかしたものは一切ありませんでした。 その言葉は、まるで静かに響く鐘の音のように、私の心の奥深くに染み入りました。 そして、その言葉の本当の重みと意味を理解するのに、私自身がその後、長い長い年月を要することになるのです。
第二章:エチュードの日々 – 基礎と忍耐の道
大沢先生の教室に通い始めてからというもの、私の日常は一変しました。 それまでの私の人生の中で、これといったアカデミックな教育、つまり、体系的で厳格な訓練を伴うような学びを体験したことがなかったからです。 ギター教室での日々は、まさにその連続でした。 来る日も来る日も、慣れない楽譜とにらめっこし、同じ曲、同じフレーズを来る日も来る日も反復練習する日々が続きました。 指先は豆だらけになり、時には痛みをこらえながら鍵盤ならぬフレットを押さえ続けました。 教室で与えられる課題は、当時流行していたポップな曲、例えば「禁じられた遊び」のような、すぐに成果が見えやすいキャッチーなものではありませんでした。 それどころか、そういった曲はむしろ御法度とされ、ひたすらエチュード(練習曲)の練習に明け暮れるという、ストイックなカリキュラムだったのです。 カルカッシ、ソル、ジュリアーニといったクラシックギターの偉大な作曲家たちが残したエチュードは、一つひとつが技術的課題と音楽的表現の宝庫でしたが、当時の未熟な私にとっては、ただただ難解で、終わりが見えない苦行のようにも感じられました。 後になって知ったことですが、多くの生徒さんが、この厳しい基礎練習の段階で挫折し、入門からわずか4ヶ月ほどで教室を去っていったそうです。 その気持ちは痛いほど分かります。 すぐに「弾ける」という実感を得たい、好きな曲を演奏したいという気持ちは、誰しもが抱くものです。 しかし、大沢先生の指導方針は、そうした短期的な欲求充足よりも、はるかに長期的な視点に立った、本質的な音楽力と技術の養成にあったのだと、今なら理解できます。 先生は折に触れて、「この業界は、30年以上やらないと食っていけない厳しい世界なんだよ」と、ぽつりとおっしゃることがありました。 その言葉は、単にプロの演奏家としての厳しさを語っていただけでなく、一つのことを深く追求し、真に自分のものとするためには、どれほどの時間と献身が必要かという、普遍的な真理を示唆していたように思います。 その厳しさの中には、しかし、確固たる教育哲学が息づいていました。 それは、後に私が知ることになる、例えばマドリード音楽院のような、何世紀にもわたるクラシック音楽の伝統の中で培われてきた、揺るぎないカリキュラムの精神に通じるものだったのかもしれません。
第三章:10年の意味と、40年後のアルハンブラ
「鈴木君、10年はかかるからね」――あの入門時の先生の言葉は、歳月を経るごとに、その真実味を増していきました。 クラシックギターという楽器は、知れば知るほど、学べば学ぶほど、その奥深さと多様性に圧倒されるものでした。 優美な音色、多彩な表現力、そして何よりも、一本のギターから無限の音楽宇宙が広がるかのような可能性。 それらを少しでも自分のものにしようとすれば、10年という時間は、決して大袈裟な期間ではなかったのです。 正直に告白すれば、結果的には10年どころか、教室に通い始めてから40年という長い歳月が経過しても、私自身が「これで満足だ」と思えるような、ろくな演奏ができるようになったとは到底言えません。 それほどまでに、クラシックギターの道は険しく、そして果てしないものでした。 しかし、不思議なことに、その「ろくな演奏ができない」という自己評価の中に、絶望や諦めはありませんでした。 むしろ、常に目標があり、探求すべきことがあるという、尽きることのない学びの喜びを感じていたのです。 そして、特筆すべきは、大沢先生の教室で受けた基礎中心のカリキュラムの力です。 あの厳格なエチュードの訓練は、一見遠回りのように見えて、実は最も確実な上達への道筋だったのだと、後年になって痛感しました。そのおかげで、音楽の基礎体力とでも言うべきものが、知らず知らずのうちに養われていたのです。 そのスキルが、何十年という時を経て、今になって生きてきて、ささやかながらも花開いたのだと感じています。 例えば、多くのギタリストが憧れる名曲、フランシスコ・タレガの「アルハンブラの思い出」。 あの美しいトレモロ奏法は、一朝一夕に習得できるものではありません。 しかし、先生の教室のカリキュラムは、たとえ音楽に関しては全くの素人であった私のような者でも、じっくりと時間をかけて取り組めば、70歳を迎える頃には、この難曲に挑戦し、自分なりに表現する喜びを味わえるように設計されていたのだと、今、確信を持って言えます。 それは、まさにマドリード音楽院に代表されるような、長い歴史の中で検証され、磨き上げられてきた教育体系の賜物なのでしょう。
第四章:人生の転機 – ギターが教えてくれたプログラミング思考
先ほど、ギター教室での経験が「人生の大きな転機になった」と書きましたが、その意味は、単に一つの趣味や特技が身についたという表面的なことだけではありません。 本質的な意味は、アカデミックなスキルを習得するというプロセスを初めて深く体験したこと、そして、そのためには膨大な時間と揺るぎない忍耐力、そして何よりも「やり遂げる」という強い意志が必要であることを、身をもって学んだ点にあります。 このギター教室で得られた経験とスキルは、意外な形で、その後の私の主要な仕事となるコンピュータプログラミングの世界に、多大な影響を与えることになりました。 一見すると、クラシックギターの芸術的な世界と、コンピュータプログラミングの論理的な世界は、全くかけ離れた分野のように思えるかもしれません。 しかし、その根底に流れる思考プロセスや、スキル習得に必要な心構えには、驚くほど多くの共通点が存在したのです。
論理的思考と構造的理解
ギターの楽譜を読むという行為は、単に音符を追うだけではありません。 そこには調性、和声、リズム、形式といった音楽の文法とも言える論理的な構造が存在します。 一つの楽曲がどのように構成されているのか、各パートがどのように関連し合っているのかを理解することは、プログラムのソースコードを読み解き、そのアーキテクチャやモジュール間の連携を把握する能力と酷似していました。 複雑なパッセージを練習する際には、それを小さな単位に分解し、一つひとつクリアしていくというアプローチを取りますが、これもまた、大規模なプログラムを開発する際に、機能を分割し、段階的に実装していく手法と通じるものがありました。
問題解決能力と忍耐力
ギターの練習では、どうしても上手く弾けない箇所、指がもつれてしまうフレーズに何度も直面します。 それを克服するためには、なぜ上手くいかないのかを分析し、様々な練習方法を試し、粘り強く反復練習を重ねる必要があります。 この試行錯誤のプロセスは、プログラミングにおけるデバッグ作業そのものでした。 エラーの原因を特定し、修正し、テストするという地道な作業には、ギターで培われた忍耐力と問題解決への執念が大いに役立ちました。 「10年はかかる」という言葉を胸に刻んでギターに取り組んだ経験は、複雑で難解なプログラミングの課題に直面したときにも、「すぐに結果が出なくても諦めずに取り組み続ける」という精神的な強さを与えてくれたのです。
細部への注意力と集中力
クラシックギターの演奏では、一音一音の音色、音の長さ、強弱、そして無音である休符に至るまで、細部にわたるコントロールが求められます。 僅かなタッチの違いが、音楽全体の印象を大きく左右します。 この細部への徹底的なこだわりと、演奏中に求められる深い集中力は、プログラミングにおいても極めて重要でした。 たった一つのセミコロンの欠如や、変数名のタイプミスがプログラム全体を停止させてしまう世界です。ギター演奏で養われた、細かな部分も見逃さない注意力と、長時間にわたって一つの作業に没頭できる集中力は、バグの少ない、質の高いコードを書く上で不可欠な能力となりました。
抽象化と具現化
作曲家が楽譜に込めた抽象的な音楽的アイデアや感情を、ギタリストは自らの技術と解釈を通して具体的な音として具現化します。 このプロセスは、顧客やユーザーの漠然とした要求やアイデア(抽象的な要件)をヒアリングし、それを具体的な機能やインターフェースを持つソフトウェアとして設計・開発(具現化)していくプログラマーの仕事と、本質的に同じ構造を持っていると言えます。 楽譜という設計図を元に音楽を再構築する経験は、仕様書を元にシステムを構築する能力の基礎となったのです。 このように、クラシックギターの学習を通じて無意識のうちに培われた様々な思考様式や能力は、私がプログラマーとしてキャリアを築いていく上で、技術的なスキル以上に大きな精神的支柱となり、また、問題解決のための強力な武器となってくれました。 あの時、もしギター教室の門を叩いていなければ、私のプログラマーとしての道も、また違ったものになっていたかもしれません。
第五章:恩師・大沢一仁先生への感謝を込めて

恩師 大沢一仁 先生
私の拙いギター人生を語る上で、そして、それがもたらした人生の転機を語る上で、恩師である大沢一仁先生の存在を抜きにすることはできません。 先生は、ただギターの技術を教えてくださっただけではありませんでした。 音楽を通じて、そしてその厳しくも温かい指導を通じて、物事に取り組む姿勢や、本質を見抜く眼、そして何よりも「継続することの尊さ」を教えてくださいました。 先生の門下からは、佐藤豊彦さんのような世界的な音楽家をはじめ、数多くの優れたギタリストが輩出されています。 私のような凡庸な弟子に対しても、そうした才能豊かな方々と分け隔てなく、真摯に、そして根気強く向き合ってくださったことに、今改めて深い感謝の念を覚えます。 先生の口癖の一つに、「基礎ができていないのに、良い音楽ができるわけがない」というものがありました。 その言葉通り、教室では徹底的に基礎を叩き込まれましたが、その厳しさの奥には、弟子たちの将来を思う深い愛情があったのだと、年を重ねるごとに強く感じます。 先生は、技術的な指導はもちろんのこと、時折お話しされる音楽史や作曲家のエピソード、そしてご自身の音楽に対する哲学など、その一つひとつが私にとっては貴重な学びとなりました。 それは、単にギターを弾くための知識ではなく、より広い意味での教養であり、人間としての深みを増すための糧であったように思います。 特に印象に残っているのは、先生が常に「音に心を込めること」を強調されていたことです。 技術的にどれほど完璧であっても、そこに心が伴わなければ、それはただの音の羅列に過ぎない。 その教えは、プログラミングの世界においても、ただ機能するコードを書くだけでなく、それを使う人のことを考えた、より良い設計やユーザー体験を目指すという姿勢に繋がっていると感じています。 先生が主宰されていた「大沢ギター音楽研究所」は、多くの音楽愛好家にとって、まさに灯台のような存在であったことでしょう。 私自身、40年以上の時が経過しても、先生から受けた薫陶は決して色褪せることなく、私の人生の指針の一つとして、今もなお心の中に生き続けています。
終章:弦の響きは、人生の響き
1969年、混沌とした時代の中で、導かれるように足を踏み入れたギター教室。 そこで出会ったクラシックギターという楽器と、恩師・大沢一仁先生の教えは、私の人生に計り知れないほどの影響を与えてくれました。 それは、単に楽器が弾けるようになったというレベルの話ではなく、物事の習得には王道はなく、地道な努力と時間の積み重ねこそが唯一の道であるということ、そして、そのプロセス自体にこそ価値があるということを教えてくれた、かけがえのない経験でした。 「10年はかかるからね」という先生の言葉は、今も私の耳に鮮やかに響いています。 そして、70歳を過ぎた今もなお、ギターを手に取り、アルハンブラ宮殿の夜想に思いを馳せながら弦を爪弾く時、私はあの若き日に始まった学びの旅が、まだ終わっていないことを感じます。 弦の響きは、喜びも苦しみも内包しながら、私の人生そのものを映し出すかのように、これからも静かに、そして深く響き続けることでしょう。
- 本科1~8コース
- 対象:7歳以上
- ここでは、当研究所のカリキュラムを使っていきます。より高度な技術を習得して、様々なギターの曲を弾いていきます。1~8コースまであり、練習曲と任意の曲、テクニック課題を同時に楽しく、分かりやすく進めていきます。各コースのレベルに応じたレッスンをしていきます。4コース以上になれば、名曲をはじめ様々な曲が弾けるようになるでしょう。
- 本科1コース
- アグアド35のエチュード(全音楽譜出版)よりNo.1,2
カルカッシ25のエチュード(全音楽譜出版)よりNo.1,2
カルカッシの6つのカプリチオよりNo.1,3,5
ブローウェルのシンプル・エチュードNo.1~No.3
同程度の任意の曲2曲
- 本科2コース
- アグアド35のエチュード(全音楽譜出版)よりNo.10,11,12,14,15
カルカッシ25のエチュード(全音楽譜出版)よりNo.3,4,6,7,8,9,10
ソル20のエチュードよりNo.2,3,4,5,6
ブローウェルのシンプルエチュードNo.4,5,6,7
同程度の任意の曲2曲
- 本科3コース
- アグアド35のエチュード(全音楽譜出版)よりNo.16,17,18,19
カルカッシ25のエチュード(全音楽譜出版)よりNo.11~17
ソル20のエチュードよりNo.1,7,8,9,10
ブローウェルのシンプルエチュードNo.8,9,10,11
同程度の任意の曲 2曲
- 本科4コース
- アグアド35のエチュード(全音楽譜出版)よりNo.20,21,22
カルカッシ25のエチュード(全音楽譜出版)よりNo.18,19,20,21,22,23
ソル20のエチュード(セゴビア編)よりNo.11~14
コスト25のエチュード(全音楽譜出版)よりNo.4,12,13,10,11
ブローウェルのシンプルエチュードNo.12~15
ミラン6つのパヴァーヌよりNo.1,3,4または6
タレガの前奏曲よりNo.1,2,5
同程度の任意の曲 2曲 - 本科5コース
- アグアド35のエチュード(全音楽譜出版)よりNo.23,25,26
カルカッシ25のエチュード(全音楽譜出版)よりNo.24,25
ソル20のエチュード(セゴビア編)よりNo.15~17
コスト25のエチュード(全音楽譜出版)よりNo.22,20,25
ブローウェルのシンプルエチュードNo.16~20
ミラン6つのパヴァーヌよりNo.1,3,4または6
J.S.バッハ プレリュード BWV999
タレガのエチュードより2曲
ジュリアーニのソナタより 第1楽章 アレグロ・スピリト
ヴィラ・ロボス12のエチュードより No.1,8
同程度の任意の曲 2曲 - 本科6コース
- アグアド35のエチュード(全音楽譜出版)よりNo.34,35
ソル20のエチュード(セゴビア編)よりNo.18~20
ナルバエスの作品より 任意の1曲
ダウランドの作品より 任意の1曲
ムダラの作品より 任意の1曲
J.S.バッハ プレリュード BWV998、フーガ BWV1000
クープラン、ヘンデル、ヴァイスの作品より 任意の1曲
ソル ソナタ Op15-2
ソル 魔笛の主題による変奏曲
メルツ、レニアーニ作品より 任意の1曲
タレガ アルハンブラの思い出、アラールの練習曲
アルベニス作品より 任意の1曲
グラナドス作品より 任意の1曲
ヴィラ・ロボス12のエチュードNo.3,4,5,6,7より 任意の2曲
現代作品より 任意の2曲

