
忘れられない「とぼけ顔」
英国チルターンベアの奥深い魅力
はじめに
アンティークテディベアの世界に足を踏み入れると、数多くの個性豊かなベアたちに出会うことができます。その中でも、一度見たら忘れられない独特の表情で、世界中のコレクターを魅了し続けているのが、英国生まれの「チルターン」社のテディベアです。
どこか間の抜けたような、それでいて愛嬌たっぷりの「とぼけた表情」。少し長めの顔立ちは、親しみを込めて「馬面」と表現されることもあります。しかし、そのユニークな表情こそが、チルターンベアが持つ最大の魅力であり、他のどのメーカーにもない特別な個性となっています。
彼らは、ただのぬいぐるみではありません。長い年月を経て、持ち主の傍らで静かに歴史を見つめてきた、小さな語り部なのです。
この記事では、1900年代初頭に誕生し、多くの人々に愛されたチルターンベアの歴史を紐解き、その代表作である「ハグミーベア」の年代ごとの特徴、そしてコレクターズアイテムとしての価値まで、その魅力を余すところなくご紹介していきます。あなたも、この不思議な魅力を持つテディベアの世界に、一歩踏み出してみませんか。
第1章:チルターン社の誕生と激動の歩み
物語は20世紀初頭、のどかな田園風景が広がる英国バッキンガムシャー州チェサムから始まります。
創業者ジョゼフ・アイザイマンと工房の設立
1908年、創業者であるジョゼフ・アイザイマンは、この地に小さな工房を開設しました。当初、彼が手掛けていたのは精巧な人形作りでした。当時のイギリスでは、ドイツ製の高品質な玩具が市場を席巻していましたが、アイザイマンはイギリス独自の玩具作りに情熱を注いでいました。
第一次世界大戦とテディベア製造への転換
しかし、1914年に第一次世界大戦が勃発すると、状況は一変します。敵国となったドイツからの玩具輸入が途絶え、イギリス国内では玩具が深刻な品薄状態に。この社会情勢が、アイザイマンにとって大きな転機となり、当時ヨーロッパで人気が高まっていた「テディベア」の製造に乗り出すことを決意します。
最初のベア「マスターテディ」の誕生
試行錯誤の末、1915年、チルターン社にとって記念すべき第一号となるテディベア「マスターテディ」が誕生します。この一体は、後のチルターンベアの特徴となる面長の顔立ちの原型を既に見せており、同社の方向性を決定づける重要な一歩となりました。
「チルターン」ブランドの確立と「ハグミーベア」の成功
戦後、1923年には同社を象徴する不朽の名作「ハグミーベア」シリーズを発表。その名の通り「私を抱きしめて」と語りかけるような愛らしいデザインは、瞬く間に子どもたちの心を掴みました。そして翌1924年、工房の所在地であるチルターンの丘にちなんで、正式に「チルターン(Chiltern)」が商標として登録されたのです。
第2章:不朽の名作「ハグミーベア」のすべて
チルターン社の名を世界に轟かせた立役者、それが「ハグミーベア」シリーズ。チルターンの魂とも言える存在です。
なぜ「ハグミー」は愛され続けるのか?デザインの秘密
ハグミーベア最大の特徴は、やはり「面長の顔」と「とぼけた表情」にあります。目は少し離れ気味に付けられ、どこか遠くを見つめているかのよう。職人の手によって一針一針縫われた鼻と口の刺繍が、一体ごとに異なる豊かな表情を生み出しています。
手足は比較的短く、ずんぐりとしたプロポーション。これは、子どもが抱きしめたときに、腕の中にすっぽりと収まるように計算されたデザインと言われています。
多彩なカラーバリエーションとその希少性
ハグミーベアは、伝統的なゴールドのモヘアだけでなく、非常に多彩なカラーバリエーションで製造されたことでも知られています。特に、深く鮮やかなブルーのファーをまとったベアは生産数が少なく、現存する個体も極めて稀であるため、コレクターの間では垂涎の的となっています。
他にも、春の訪れを感じさせる優しい薄紅色(ピンク)や、森の若葉のようなグリーンなど、他のメーカーではあまり見られない大胆な色使いもチルターンの魅力でした。
★大人ムードで楽しむピンクのベア
桜の季節、お部屋に春の彩りを添えたいとき、甘すぎるピンクは少し気恥ずかしいと感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、長い年月を経たチルターンのピンクのベアは、鮮やかさが程よく落ち着き、深みのあるアンティークローズのような色合いに変化しています。
大人ムードで甘くなりすぎないので、バラ色を採りいれてみるのが桜の季節らしくもなるのでイチ押しです。シックなインテリアの中にそっと置くだけで、上質でノスタルジックな春の空間を演出してくれるでしょう。
第3章:時代の鏡:年代別に見るチルターンベアの特徴
約40年という長い期間にわたって作られたハグミーベア。その時代ごとの変化は、年代を特定する重要な手がかりです。
◆初期のハグミー:(1920年代~1930年代)
- 素材:光沢が美しい上質のモヘアと、滑らかな手触りのベルベット製パッドを使用。
- 顔立ち:鼻先が前方にぐっと突き出た、典型的な面長顔。鼻の刺繍は黒糸で、その両端が長く伸びているのが大きな特徴。
- 目:透明ガラスの裏から琥珀色を塗ったもの(20年代)や、黒と琥珀色の二層グラスアイ(30年代)が主流。
- 体型:全体的に太い足と、それに比べて長い腕を持つユニークなプロポーション。
- 爪の刺繍:センター(中央)を中心に2本ずつ、合計4本の爪が縫われている。
◆1940年代のハグミー
- 顔立ち:よりフラット(平面的)な顔立ちへ変化。鼻の刺繍も、野球のホームベースのような盾形に小さくまとめられる。
- 素材:パッドにはベルベットに代わり、レキシン(茶色の人工皮革)が使われるように。
- 体型:戦前のモデルに比べ、短い手足と小さいパッドが特徴。
- タグ:この年代から初めて布製の赤いタグが付けられるようになる(ただし現存は稀)。
◆1950年代~1960年代のハグミー
- 顔立ち:顔はさらに平坦で丸みを帯び、より親しみやすい表情へ。
- 目:安全で安価なプラスチックアイへと移行。
- 鼻:盾形の刺繍鼻に加え、60年代にはプラスチックで成形された鼻も登場。
- 爪の刺繍:手に4本、足に5本へと変化。
- タグ:50年代は青いタグ、その後チャドバレー傘下に入ってからは両社の名前入りタグが付けられた。
第4章:コレクターを魅了する希少なチルターン
ハグミーベア以外にも、コレクターの心をくすぐる、ユニークで希少なベアたちが存在します。
タグやIDの重要性
アンティークベアの世界では、タグの有無が価値を大きく左右します。ごく初期のチルターンは胸に紙タグが付いているだけでした。このオリジナルの紙タグが残っているベアは、博物館級の希少価値があります。
1930年代のスケーターベアの足ラベル、40年代の赤タグ、50年代の青タグと、その変遷を追うのもコレクターの楽しみの一つです。
ギミックが楽しいノベルティベアたち
チルターンは、遊び心あふれる「ノベルティベア」も得意としていました。足に金属製のスケート靴を履いた「スケーターベア」や、愛らしい三輪車に乗ったベアなどはその代表格です。
心に響く音色:オルゴール内蔵ベアの世界
チルターンのもう一つの特徴として、オルゴールを内蔵した製品の種類の豊富さが挙げられます。背中のネジを巻くと優しい音色を奏でるベアは、他のメーカーと比較しても多く製造され、そのバリエーションの豊かさもコレクターにとって大きな魅力となっています。
おわりに:時代を超えて語りかける、その温もり
チルターン社のテディベアは、決して完璧に整った顔立ちではありません。左右の目の高さが少し違っていたり、鼻の刺繍が少し曲がっていたりすることもあります。しかし、その一つ一つの不完全さが、機械生産では決して生み出すことのできない、温かみと愛嬌となって私たちの心に語りかけてきます。
もしあなたがアンティークショップで、とぼけた表情のベアと目があったなら、ぜひその歴史に思いを馳せてみてください。その温もりは、きっと日々の生活に、ささやかで心豊かな時間をもたらしてくれることでしょう。


