
時には人間を襲うこともある獰猛な熊が、なぜ「テディベア」という愛らしい姿に形を変え、100年もの長きにわたり世界中の人々から愛されてきたのでしょうか。その物語は、19世紀末のヨーロッパから始まります。

はじまり:擬人化された熊たち
1800年代、見世物として鎖につながれた熊の曲芸が人気を博していました。その仕草がどことなく人間のように見えることから、19世紀の終わり頃には、熊を主人公にした擬人化ストーリーが数多く作られるようになります。
1900年代に入ると、子供用品や本、広告などに熊のキャラクターが頻繁に登場するようになりましたが、その姿はまだ野生の荒々しさを残したイラストでした。当時、木彫りの熊はスイスやドイツの名産品でしたが、それらはあくまで民芸品であり、子供のおもちゃではありませんでした。
1902年:ドイツとアメリカ、運命の出会い
しかし、歴史が大きく動いたのは1902年から1903年にかけてのこと。奇しくもドイツとアメリカという二つの国で、ほぼ同時に、私たちが知る「熊のぬいぐるみ」が産声を上げたのです。
【ドイツの物語:シュタイフ社の挑戦】 ドイツでは、ポリオによって車椅子での生活を余儀なくされた女性、マルガレーテ・シュタイフが、甥のリヒャルトと共にぬいぐるみ工房を営んでいました。彼女がフェルトで作った象のピンクッションは大変な評判を呼び、本格的にぬいぐるみ作りへと乗り出していたのです。
ある日、リヒャルトは「手、足、首が動かせる、本物のような熊のぬいぐるみ」という画期的なアイデアを提案します。こうして作られたベアは、ライプツィヒで開催されたトイショーに出品され、アメリカ人バイヤーの目に留まります。その場で、実に3,000体もの大量注文を受けるという快挙を成し遂げたのでした。
【アメリカの物語:大統領の優しさと商機】 一方その頃、アメリカでは第26代大統領セオドア・ルーズベルト、愛称「テディ」が国民的な人気を誇っていました。
1902年、彼が趣味の熊狩りに出かけた際、思うような釣果がありませんでした。それを見かねた側近が、あらかじめ捕らえておいた小熊を差し出し、撃つように勧めます。しかし、ルーズベルト大統領は「それはスポーツマンシップに反する」として、その小熊を撃つのを毅然と拒否しました。
この心温まる美談は、クリフォード・ベリーマンという風刺画家のイラストと共にワシントン・ポスト紙に掲載され、大きな話題となります。ニューヨークで玩具店を営んでいたロシア移民のモーリス・ミットムは、この記事に商機を見出しました。彼はすぐに熊のぬいぐるみを作り、ルーズベルト大統領の愛称である「テディ」と名付ける許可まで取り付けたのです。この「テディベア」は大ヒットし、ミットムは後にアイデアル社を設立、長年にわたり愛されるベアを作り続けました。

世界を席巻したテディベア・ブーム
こうして、ドイツ生まれのシュタイフ社のベアも、アメリカでは「テディベア」として親しまれるようになり、世界的な大ブームが巻き起こります。特に1906年から1908年は「テディベア・イヤーズ」と呼ばれるほどでした。
1907年には「テディベア」という単語が辞書に掲載され、『ルーズベルトベア』といった物語が出版されるなど、社会現象となります。赤ちゃんのおしゃぶりからお年寄りのステッキまで、ありとあらゆるグッズが作られ、名付け親であるルーズベルト大統領自身も、選挙キャンペーンのマスコットとしてテディベアを活用したほどでした。
モノを超えた存在へ:「WELL LOVED」という価値観
欧米には、女児には人形を、男児にはテディベアを「ファーストフレンド」として贈る習慣があります。しかし、テディベアは決して男の子だけのものではありません。むしろ、自分より大きなベアと寄り添って写る女の子の写真の方が多く見られるほどです。
テディベアは、寝食を共にする子供の良き友であり、時には不安や悲しみを受け止める、かけがえのない存在でした。アンティークベアの中に見られる、どこか寂しげな表情は、そんな子供たちの心の機微をじっと見つめてきたからなのかもしれません。
英語に「WELL LOVED(とても愛された)」という素敵な表現があります。遊び込まれてボロボロになったベアは、単に古いのではなく、「深く、良く愛された」証だと捉えるのです。デッドストックの綺麗な状態で残っているベアよりも、元の姿が分からないほどくたくたになったベアの方が、ぬいぐるみとしては幸せだったのかもしれません。
メーカーや価格でランク付けされがちな骨董の世界ですが、どのベアも様々な人間模様を見守り、家族に受け継がれ、コレクターの元で大切にされています。それは、一つひとつが愛おしい存在なのです。
テディベアをもらって、嫌な気持ちになる人はほとんどいないでしょう。その心を和ませる力は、「グッドベア・オブ・ザ・ワールド」のように、病人や被災地にベアを送り、心のケアを目指す世界的な活動にも繋がっています。
アンティークテディベアの奥深い世界
ただ「かわいい」だけではない、100年を超える歴史と文化に裏打ちされた奥深さ。これこそが、テディベアが他のぬいぐるみと一線を画す理由です。
アンティークテディベアの世界では、シュタイフ社が特に有名です。著名なメーカーのベアは資料も多く、年代鑑定がしやすい一方、その大半は作り手が分からない「アンノウンベア」です。ホームメイドの作品も含めれば、全てのベアを正確に鑑定することは不可能です。
しかし、鑑定の基準となる知識を学び、できるだけ多くのベアに触れて経験を積むことで、その価値を見抜く力(鑑定力)を養うことができます。それもまた、テディベアの大きな魅力の一つなのです。


