
900万円の微笑み:伝説のシュタイフベア “ハッピー” の物語
アンティークテディベアのオークション史を語る上で、クリスティーズオークションで落札された「テディガール」の物語はあまりにも有名です。しかし、その陰で、もう一体、テディベアの価値を世に知らしめた伝説的な存在がいます。それが、1989年にサザビーズオークションで900万円という驚異的な価格で落札された、1926年製のシュタイフベア「ハッピー」です。
「ハッピー」は、単に高額であったというだけでなく、その背景にある心温まる物語と、他のどのテディベアとも違う、唯一無二の美しさによって、今なお多くのコレクターの心を掴んで離しません。なぜこの一体のベアが、それほどの熱狂を生んだのか。その秘密に迫ります。
第1章:熱狂の時代 - 1980年代テディベアブーム
「ハッピー」が歴史的な高値で落札された背景には、1980年代という時代の空気が大きく関係しています。ご指摘の通り、1980年代にTVでテディベアの話題が評価されたことが、大きなきっかけとなりました。特に、イギリスのテレビドラマ「ブライズヘッドふたたび」に登場した「アロイシャス」という名のテディベアが、大人の知的な小道具として描かれたことで、世界中で「アークトフィリア(テディベア収集趣味)」が一大ブームとなったのです。
それまで子供のおもちゃと見なされがちだったアンティークテディベアに、「大人のための収集品」「芸術品」としての価値が見出され始め、オークションハウスは熱狂的なバイヤーたちで溢れかえりました。そんな最高の舞台に、まさに主役として登場したのが「ハッピー」でした。
第2章:愛の贈り物 - 「ハッピー」の知られざる前半生
オークションでの華やかなエピソード以上に、「ハッピー」の価値を特別なものにしているのが、その心温まる出自です。このテディベアは、元々コレクターズアイテムとしてではなく、純粋な愛の証として贈られたものでした。
ちなみにこのテディベアは愛する夫から妻へのクリスマスプレゼントだったそうです。
1926年のクリスマス、ある男性が、愛する妻のためにこのシュタイフベアを贈りました。そして、そのテディベアは「ハッピー」と名付けられ、60年以上にわたって大切にされてきたのです。その長い年月の中で、「ハッピー」は単なるぬいぐるみではなく、夫婦の愛と歴史そのものを体現する存在となっていきました。オークションに出品された際、このロマンティックな物語が、「ハッピー」の魅力的で謎めいた表情に、さらなる深みと感動を与え、多くの人々の心を打ったことは想像に難くありません。
第3章:美貌のテディベア - シュタイフベアの美学と「ハッピー」
シュタイフ社のアンティークテディベアには、コレクターの間で語られる独特の美学があります。それは、必ずしも万人受けする「可愛らしさ」とは少し違う、玄人好みの魅力です。
シュタイフのテディベアは横顔は尖っていてあまり可愛くないのですが真正面の顔に魅力のあるテディベアが多々あります。このご指摘は、シュタイフベアの本質を的確に捉えています。長く突き出た鼻(マズル)を持つ彼らの横顔は、時に無骨で、動物的な鋭ささえ感じさせます。しかし、ゆっくりと正面に向き合った時、その印象は一変します。職人の手作業による鼻の刺繍の角度、ガラスの目の取り付け位置、それらがコンマ数ミリ単位で奇跡的なバランスを保ち、一体一体に魂のこもった、唯一無二の表情を生み出すのです。
そして、数あるシュタイフベアの中でも、その中でも美人のハッピーは別格です。1926年製で大型のテディベアとしてはNO1でしょう。と断言されるほどの美しさを「ハッピー」は持っています。その表情は、見る角度によって、優しく微笑んでいるようにも、何か遠くを見つめて物思いに耽っているようにも見えます。甘すぎず、媚びすぎず、気品と知性を感じさせる、まさに「美人」と呼ぶにふさわしい顔立ち。この奇跡的な表情こそが、「ハッピー」が900万円という価値を持つ最大の理由なのです。
第4章:唯一無二の存在 - オリジナルとレプリカ
「ハッピー」の伝説的な人気を受け、シュタイフ社は後に、そのデザインを忠実に再現したレプリカをたくさん作りました。これらのレプリカは、世界中のコレクターが「ハッピー」の美しさに触れる機会を提供し、その人気をさらに高める役割を果たしました。
しかし、忘れてはならないのは、オリジナルのハッピーはこの一体のみです。という厳然たる事実です。レプリカがどれほど精巧に作られていようとも、1926年のクリスマスに愛の贈り物として生を受け、60年以上の時を所有者と共に過ごし、そして1989年のオークションで世界を熱狂させた、あのオリジナルの「ハッピー」が持つオーラや物語を再現することはできません。オリジナルの「ハッピー」は、テディベアという存在を超え、歴史そのものを内包した芸術作品なのです。
結論:愛と美の象徴
サザビーズで900万円の値が付いたテディベア「ハッピー」。その価値は、単なる希少性や金銭的なものさしだけでは測れません。1980年代という時代の熱狂、愛する人への贈り物というロマンティックな物語、そして他の追随を許さない圧倒的な美しさ。これら全てが奇跡のように融合したからこそ、「ハッピー」は伝説となりました。
「ハッピー」は、テディベアが単なるおもちゃではなく、人の心を豊かにし、愛と歴史を語り継ぐ、かけがえのない宝物であることを、その謎めいた美しい微笑みで、今なお私たちに伝え続けています。


