
100年後も心に響くテディベアを創るために
テディベアを愛し、その創作に心を注ぐすべての方へ
このブログを読んでくださっている皆様、特に日本のテディベアファンの方々にお伝えしたいことがあります。日本のテディベアの世界は、クラフトを目的とした方々が多く、その作品レベルは非常に高いと、常々感じ入っております。皆様が愛情を込めてお作りになる作品は、技術的な完成度はもちろんのこと、細部にまで神経の行き届いた素晴らしいものばかりです。
海外にも、数えきれないほどの「テディベアアーティスト」と呼ばれる方々が存在し、私も心から敬愛する作家が何人もいます。国内外を問わず、優れた作品をお作りになる方々には、ある共通点があるように思えてなりません。それは、卓越した技術を持っていることはもちろんですが、それ以上に「基本に忠実」であるということです。彼らの作品は、総じて言えば、どこかアカデミックな仕様を意識した、品の良い作品になっているのです。
テディベアの「基本」そして「アカデミックな要素」とは何か?
では、テディベアにおける「基本」や「アカデミックな要素」とは、一体何でしょうか。これは私なりの解釈ですが、ひとつの指針としてお聞きいただければ幸いです。例えば、音楽でも絵画でも、まずは古典を深く学んでから、それを自分なりに解釈し、アレンジを加えるのが通例です。いきなり自己流で始めても、しっかりとした土台がなければ、その表現は独りよがりで薄っぺらいものになりがちです。
テディベアの世界における「古典」。その最も偉大な存在こそ、ドイツのシュタイフ社であり、テディベアの「原点」だと私は思います。100年以上の歴史の中で、テディベアは様々な国で独自の進化を遂げ、世界中に広まっていきました。しかし、そのすべての源流をたどれば、やはりこの原点に行き着くのだと信じています。
だからこそ、皆様にはぜひ、アンティークテディベア、特に初期のシュタイフベアをじっくりと観察し、その存在を感じてみてほしいのです。なぜこの腕の長さなのか、なぜ背中にこぶがあるのか、なぜこの表情なのか。その一つひとつと対話することで、ご自身の作品を飛躍させるためのヒントが、きっと数多く見つかることでしょう。
ぬいぐるみ以上の存在 - 心の「脇役」としての役割
そして、古典を学ぶことと同時に、もう一つ心に留めておいていただきたい大切なことがあります。それは、「グットベア」に象徴されるように、テディベアが単なるぬいぐるみではなく、メンタリティの脇役として、いかに人々の心に貢献してきたかという事実です。
テディベアは、持ち主の喜び、悲しみ、不安、そのすべてを静かに受け止めてきた、心の伴侶です。だからこそ、私は皆様に、ただ愛らしい、ただ可愛らしいだけの作品ばかりではなく、どこか憂いを秘めた、深みのある作品づくりを目指してほしいと、切に願っています。見る人の感情が入り込む「余白」のある作品。それこそが、長く愛されるテディベアの持つ力ではないでしょうか。
「良い顔」の秘密 - 時代を超えて訴えかける表情
では、テディベアの「深み」とは、具体的にどこに宿るのか。それは、間違いなくその「顔」に集約されます。古くから、テディベアの「良い顔」については、このように言われています。
テディベアの良い顔とは、寂しい時や悲しい時は慰めの表情に見え、楽しくて、ついテディベアのことを忘れた時、寂しそうに見える表情の顔だ。
これは、テディベアの表情が固定されているのではなく、持ち主の心の状態を映し出す「鏡」のようであるべきだ、ということを示唆しています。嬉しい時には共に微笑んでいるように見え、悲しい時には黙って涙を受け止めてくれているように見える。不思議なことに、人気のあるアンティークテディベアは、すべて同じような、この奥深い表情をしています。
例えば、あの有名な赤いテディベア「アルフォンゾ」を見た時、私たちは何を感じるでしょうか。その瞳の奥から、彼が経験したであろう、革命の日の悲しみ、そして少女に注がれた深い愛情の物語が、ひしひしと伝わってくるのを感じないでしょうか。愛らしさの中に、壮絶な物語を耐え抜いた者の持つ、静かな強さと気品が感じられるのです。
どうか忘れないでください。皆様が今、その手で生み出そうとしているテディベアもまた、これから誰かの人生の物語を、10年、50年、そして100年にわたって受け止め続ける存在になるのかもしれないということを。100年たっても色褪せることなく、人の心に訴え続ける作品作りを、どうか、どうか目指してください。皆様の創作活動が、テディベアの豊かな歴史の新たな1ページとなることを、心から願っております。


